「政治をもっと身近に。」
政治に関する情報をわかりやすくお届けします。

政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー立憲民主党・田嶋要議員に聞く! メガソーラー問題とこれからのエネルギー政策

立憲民主党・田嶋要議員に聞く! メガソーラー問題とこれからのエネルギー政策

投稿日2024.10.9
最終更新日2024.10.11

世界情勢が大きく変動する中、エネルギーの調達に大きな困難が生じています。一方で、エネルギー政策は、経済発展のみならず、環境や気候変動との関係でも重要です。世界的に持続可能性の観点から再生可能エネルギーや省エネルギーの重要性がますます高まっています。今回のインタビューでは、エネルギー分野で精力的に活動をなさっている田嶋要議員が政治を志したきっかけから、メガソーラーなどエネルギー政策の未来について、および今後の活動の展望についてお伺いしました。

(取材日:2024年9月19日)
(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)

 

田嶋要議員インタビュー

田嶋 要(たじま かなめ)議員
1961年9月22日生まれ。東京大学法学部卒業。
ペンシルベニア大学ウォートンスクールMBA修士学(経営学)修了。
NTTや世界銀行での勤務を経て衆議院議員(7期)。
経済産業大臣政務官、原子力災害現地対策本部長を歴任。立憲民主党・ネクスト経済産業大臣。

政治家は自分の人間としてのすべてを評価してもらう職業

田嶋要議員インタビュー

―本日はよろしくお願いします! まず、田嶋さんが政治家を目指した経緯を教えてください。

仕事でアメリカ・ワシントンD.C.の国際機関にいた時に、現地の日本人コミュニティで林芳正さんや斎藤健さんとも知己を得ました。奇しくも、ワシントンD.C.という政治の色が濃い街で、様々な出会いがあり、様々な経験をしたことが政治家を目指すひとつのきっかけになったと思います。

20代にアメリカとフィリピンに、都合10年住んでいました。当時は転職を重ねる時代ではありませんでしたが、自らのキャリアアップを考えている中で、やはりいちばん大切なのは、世のため人のためになることだという結論にいたりました。もちろんサラリーマンであっても、社会貢献のため、人のために働いている側面はもちろんありますが、やはり自社の利益の追求をすることとなってしまいます。

ワシントンにいた時代は、世界銀行の職員として国際公務員を経験しました。官民を往来するキャリアを経験する中で、いちばんストレートに社会をよくするための仕事は国会議員だと考えるようになりました。自分の時間の多くを社会をよくすることに注ぎたいと思い、政治の道に進むことに決めたという経緯です。

海外生活を終えて帰国したタイミングで、ちょうど民主党が公募をしているのを知り、応募を決めました。高校が同窓の古川元久さんの事務所に行ったり、多くの方々のお話をうかがったりしました。私は、愛知県の旭丘高校出身なんですが、そこは基本的に政治の体制にあらがうカルチャーを持っています。その影響もあって当時、野党の民主党を選んだんじゃないかなと感じています。

国会議員になるには選挙に勝たなければなりません。選挙は試験や面接とは異なり、一重に有権者のみなさんに支持をいただけるかという点で、私という人間のすべてが問われるものです。立ち居振る舞いも、人柄も、政策も。せっかくの人生ですから、私がどのように見られ、どのように評価されるか試してみたい気持ちもありました。それで決意して会社をやめました。完全に自由だ!と最高な瞬間でしたね(笑)。その時、40歳でした。当時は人生80年と言われていましたので、人生の前半はインプット、人生の後半は社会のためにアウトプットすると考えていました。それまでの人生で、みずからのキャリアアップというより、様々な経験をさせていただいたので、それを社会に返していくと奮い立つ思いでした。

―ありがとうございます。田嶋さんは政策に関する活動量が大変に豊富とうかがっておりますが、普段どのような活動をなさっておられるのでしょうか?

地元での活動はとても大切にしています。この間の3連休でも地元のお祭りや敬老会をたくさん回ってきました。地元の有権者のみなさんと実際にお会いして、政策のヒントを得ることも含めて、声を交わすことをつねにやっています。とは言え、有権者のみなさんは、わたしに常に地元に張り付いていることを求めているわけではないし、私は現在7期目ですから、これまで培ってきた地盤を大切にしながら、海外視察なども含めて政策に関する活動も増やしつつ、バランスをうまくとっているという日々です。

政策をつくっていて感じることは、やはり現場を見てくることの重要性がどれだけ大きいかということです。たとえば、東日本大震災にともなう福島原発事故で現地対策本部長の経験があるのは、国会でいま私だけなんです。ほかにも、先日、2030年には再生可能エネルギーの発電を100%にする目標を掲げている南オーストラリアに赴き、再エネに関する最先端の取り組みの現場を見てきました。そうすることで、得られる生の情報や人脈などを、これからの日本の政策に惜しみなく注いでいくことができると思っているからです。

東日本大震災の原子力災害現地対策本部長の経験がエネルギー政策に取り組むきっかけ

田嶋要議員インタビュー

―ありがとうございます。田嶋議員といえばエネルギー政策に詳しいというイメージがありますが、どのような経緯で関わるようになったんですか?

初当選した際に、先輩議員の仙谷由人元官房長官から「あれもこれも手を広げて全部やり始めると収拾がつかなくなるから自分の幹となる分野を持った方がいい」と言われたことがありました。たしかに、10も20もの政策分野を同時に追いかけてしまうと、いわば便利屋的になってしまい、ベースがない状態になってしまうおそれがあると思いました。

エネルギー政策についても、きっかけは3.11でした。3月11日に震災が発生して、5月29日に現地対策本部長の打診をうけました。未曽有の災害でしたから、緊張感のある中で現地入りし、体育館や保育園・幼稚園などを周り、放射能の心配などについてお話をして有権者に寄り添うことにも力を尽くしました。また、各所に対応策の提案を行うこともありました。そういった経験をする中で、原子力発電所を所管する経済産業省のしかるべき地位についている方々が、法学部を卒業した方々であり、原子力の専門家と言うのはむずかしいのではないかと気づかされたことを覚えています。

原発事故の対応にあたっては菅総理大臣(当時)が、官邸で「東電じゃダメだ、東芝を呼べ」と言う一幕もありました。それで、東芝のいちばん詳しい担当者に来ていただいて、爆発は起きるのか、といったことを聞いても―誰にとっても初体験ですから―誰も明確なことを言えず、結局3回も爆発が起きてしまうことになります。その現場を生で経験したからこそ、原子力問題がライフワークになったという流れです。自然と原子力の問題のみならず、再生可能エネルギーや省エネといったものを含むエネルギー政策全般や、環境、CO2、気候変動問題などの分野に活動の幅が広がっていきました。いまでは、食や農業、サーキュラーエコノミーも関連分野として研究分野を広げてきているところです。ピンポイントでこども政策や障がい者政策などを扱うこともありますが、大きなライフワークとして環境やエネルギーが活動の中心になってきたというのが実際です。

― 再生可能エネルギーの話があったかと思いますが、その重要性が認識されている中、千葉県の鴨川におけるメガソーラーが問題となっています。これはどのような事案なのでしょうか?

2012年にFIT制度というものがはじまりました。FIT制度というのは、再生可能エネルギーの固定価格買取制度のことで、再エネで発電された電気を電力会社が一定の期間に一定の価格で買い取ることを国が保障する制度です。コストの高かった再エネの導入を支えるための制度だったわけですが、当時の民主党政権は政権の足腰が弱まっていた時期で、野党の自民党と交渉する中で買取価格を最初の3年間で、非常に高いところにセットすることになってしまいました。それは、たとえば、金融機関としては固定買取価格が早期に決定した方が融資をしやすくなるから、といった事情があったわけです。それはまったくその通りですが、その価格の時に申請をして、高止まりした価格を押さえておきながら、実際には再エネ発電所の着工を先送りにして、コストが下がっていくのを待つ業者が現れてしまったのです。

鴨川の事案もそのひとつです。この制度は2012年にできましたから民主党が下野するタイミングです。実際に、その高い価格を押さえられる3年間は自民党が政権にあったわけです。ですから、このような問題は、当然に所管省庁に情報として上がっていますし、対策もできたはずなんです。しかし、対策も取られることなく今日、全国的な問題となってしまったんです。なぜ対策を講じないのか、よく分かりませんが、健全な再エネを本当に広げようという意識が乏しかったのではないかと思います。そのため、鴨川のような環境破壊のおそれが著しいもの、住民から強く反対されるようなものが問題となっています。鴨川はその全国最大規模の象徴的な例だと考えています。

現在、鴨川の住民のおよそ半数が反対署名をしてくれている状態で、私が窓口として7年ほど活動を続けています。最初はどのように取り上げるか迷ったのですが、このような問題を看過してしまうと、再エネのイメージが大変に悪くなるおそれもありました。そのようなことを考えて、やはり良質な再エネを普及させなければと国会でも悪貨が良貨を駆逐する例として取り上げるに至りました。規制が後手後手になった結果、住民がとても受忍できない状態になってしまいました。

事業スタートが遅れれば、IRR(インターナルレートオブリターン、内部収益率)が落ちてきています。そのため、このプロジェクトの魅力も減少していく方向です。このようなこう着状態が続くと、企業にとってはうまみが減るので、耐久レースの様相を呈しています。それに金融機関も住民の反対運動が起きているようなプロジェクトには、ファイナンスがしづらいですよね。

加えて、経済産業省がこの事業者に報告徴収(提出期限や必要な事項を定めて報告書の提出を求めること)を求めたのですが、回答期限までに無回答でした。報告徴収を無視しているわけですから、すごいですよね。行政当局の報告徴収を無視することってあるんだな、と。これまで、報告徴収は、エネ庁が電力会社に出すことが多く、このような事例に出されたことはないようです。一日も早く、地域住民の安心がとりもどせるように願っています。

エネルギー政策を起点に日本社会のあり方を問い直す

田嶋要議員インタビュー

―ありがとうございます。つぎは、フュージョンエネルギーについておうかがいします。あらたなエネルギーとしてにわかに注目されるフュージョンエネルギーをどのように捉えておられますか?

まず、フュージョンエネルギーというのは、これまでの原子力エネルギー(フィッションエネルギー、核分裂エネルギー)に対する概念です。フュージョンエネルギーは、フィッションのように核を分裂させるのではなく、軽い原子核を極めて高い温度と圧力で融合させることで得られるエネルギーを意味します。この研究・開発が行われている南フランスにも行ってきたんですが、現時点ではどのように花開くかは分かりません。そのため、まだ評価については中立というのが実際のところです。実装の目途が立つのも2050年以降と見込まれているので、すぐに電力供給につながるわけではないのですが、「地球の太陽」と言われるもので、人類がエネルギーの制約から解消される可能性があるともいわれています。

従来のフィッションは高レベル放射性廃棄物が出ますが、フュージョンは低・中レベル放射性廃棄物は出ますが、高レベル放射性廃棄物は出ないということです。つまりその処理についての問題のレベルが大きく異なるというわけです。それだけでなく、福島原発がひとつの例で、有事の際に、フィッションの場合は核分裂反応が暴走に入りますが、フュージョンの場合は核反応の動作が停止するというのも大きな利点です。チェルノブイリやスリーマイルのようなことも起きないということです。

―フィッションエネルギーと根本的な仕組みが異なる、あらたな未来のエネルギーということですね。2050年以降にかけて日本はフュージョンエネルギーについてどのようなことをしていくべきなのでしょうか?

すでにこの技術は、世界中が南フランスに集まって研究・開発を進めています。いまのところ、日本やアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、韓国、それから中国やロシアも参加しているという状況です。

各国が核融合炉の部分部分をそれぞれ担当しながら、プロジェクトを進めています。そして、日本はその心臓部に当たるところを多く引き受けています。日本の技術が高く評価されているわけです。このような、未来のためにインターナショナルなフレームワークに予算をつけて関わっていくことはやった方がいいですよね。そういえば、奇遇にも現地の責任者が会社員時代のわたしの直属の部下でした(笑)。

このフュージョンエネルギーという言葉が注目を受けるのはいいんですが、だいぶ息の長い話なので、いまどうこうみたいなことはありません。

―ありがとうございます。先ほど、エネルギー分野を中心にして活動の範囲が広がっているとおっしゃっていましたが、隣接分野などですと、現在どのようなことに関わっておられるのでしょうか?

これまではエネルギー自給率を考えていましたが、エネルギー分野から環境分野に取り組む流れの中で最近は食料自給率のことを一層考えるようになりました。それで、自分で畑もはじめました。色々なことを調べながらやっているんですが、食料自給率というものを考え出すと、最終的な野菜などをどれだけ自給しているのかで見るのではなく、その生産のための肥料を自給できているかという問題とつながります。農薬も化学肥料もほぼ100%輸入に頼っていますので、有機肥料で農業を実施したらどうなるのだろうか、と考えさせられます。

さらに、日本の貿易収支を好転させるにはどうすればいいのか、といったことも考えるようになりました。そして、エネルギーや食料の自給率を考えてみると、原油や石炭の輸入の問題だけではないという問題意識をもつようになります。輸入しなくても済む農業。輸入しなくてもいいエネルギー。再エネも大事だし、省エネも大事だし、と。加えて、プラスチックも同様です。プラスチックは原油でつくられるわけですが、燃料としての原油ではなく、原料としての原油です。プラスチックは、原料としての原油を利用し―ナフサというのですが―様々なものに利用しています。これは日本がサーキュラーエコノミー(資源の投入や消費を押さえつつ活動する循環経済のこと)になっていないということです。

イギリスやフランスやオランダ、ドイツといったヨーロッパ圏の国々で、使い捨てのフォークやナイフが使われているのはほとんど見ません。町中のお店でも自然とそうなっています。もちろん、ヨーロッパでもカフェに行けばプラスチックの蓋が使われていたりしますけど、その消費ができるだけ少なくなるような工夫がみられます。環境省に問い合わせをしてみたら、日本は全然そうなっていません。ですから、日本は一人あたりで世界で2番目に使い捨てプラスチックの使用量が多くなってしまっているんです。ヨーロッパの国々は、未来のためによく自己抑制をかける国と言えると思います。エネルギー政策の外延部としてプラスチックを扱うようになりましたが、使い捨てをどのように減らしていくかの仕組みづくりにも取り組むようになっていったのです。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
株式会社PoliPoliが運営する「政治をもっと身近に。」を理念とするWebメディアです。 社内編集チーム・ライター、外部のプロの編集者による豊富な知見や取材に基づき、生活に関わる政策テーマ、政治家や企業の独自インタビューを発信しています。