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国民民主党・伊藤孝恵議員に聞く!「まだ、ここにない政策」の作り方

投稿日2024.3.5
最終更新日2024.03.05

国民民主党の伊藤孝恵議員は「まだ、ここにない政策を」をモットーに、孤独・孤立対策、ヤングケアラー支援、内密出産、生理・更年期障害等、今までの政治家が取り組んで来なかった、一風変わった政策を推進しています。また昨年12月には、政治家とその他の職業を、まるで回転ドアのように相互に行き来することが当たり前になる社会を創るため「一般社団法人 リボルビングドア」を設立しました。今回は、伊藤議員になぜ逆風も多い政策に打ち込むのか?その原動力は何なのか?そして次なる「まだ、ここにない政策」は何なのか?お伺いしました。

(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 中井澤卓哉)

伊藤孝恵議員インタビュー

伊藤 孝恵(いとう たかえ)氏
1975年生まれ、国民民主党所属の参議院議員。
テレビ局で報道記者として事件取材やドキュメンタリー番組を制作した後、
民間企業のマーケティング局でメディアバイイングやCM等を制作。
2016年、参議院議員選挙にて初当選(現在2期目)、2児の母。

(1)次女の誕生が政治家になるキッカケ

ーまずはじめに、政治家を志したきっかけについて教えてください。
民主党(当時)の公募をSNSで偶然見たことです。世の中には納得のいかない法律や制度が沢山ある。それを直接、自分の手で変えられる仕事が政治家だ、議員の仕事は1つだけ、子どもたちの未来を作ることだと書いてありました。
いつもなら、そんな綺麗な言葉、読み流してしまうと思うのですが、当時の私は生まれたばかりの次女の耳に障害があるかもしれないと言われ、眠れない夜を過ごしていました。

家の近くに「授産施設(※)」があり、次女を車の後部座席に乗せてよく通っていました。笑顔で我が子を迎えにくるお父さんや、目もあわさずに引っ張っていくお母さん。色々な家族の表情がそこにはありました。私自身の心も毎日晴れたり曇ったりで、今考えると産後鬱だったと思うのですが、次女を抱いて消えてしまおうと思ったことも一度や二度ではありません。

障害児者に関わるさまざまな制度を調べたり、次女より先に逝く私がいなくなった後の日本の未来を想像し、そうじゃない、それじゃないと悔しい思いを感じる中、たまたま見かけた公募。気付けば一晩で一気に応募書類を書き上げていました。

あの夜の行動を論理的に説明しろと言われると難しいのですが、多分、世の中は障害者に優しくない、みんな一緒だなんて嘘だなんて愚痴って生きるより、だったらそれを変えてやると立ち上がる母としての人生を、私は生きたかったんだと思います。

(※)身体上、精神上の理由等の理由により就業能力の限られる要保護者に対し、就労や技能修得のために必要な機会を提供し、自立を支援する施設

ー国会議員になってからのお話も伺いたいのですが、こどもが遊べるスペースを設けているこちらの事務所も特徴的ですね。
初当選時、長女は3歳、次女は1歳。議員会館には保育園があると聞いていたので、入れて頂けるものと思っていたのですが…保育園、落ちました。

夫は石川県に単身赴任していたこともあって結局1年間、愛知県犬山市の実家近くの保育園に子ども達を預けながら、愛知と国会議事堂を毎日往復する生活をしていましたが、我が家には両親や姉家族の他に認知症の祖父母もおり、一手にケア労働を引き受けていた母が倒れた日を境に、何もかもが回らなくなりました。

2017年、子ども2人を連れて上京。事務所内のキッズスペースは、待機児童だった次女の居場所です。シッターさんやファミサポさん、シルバーさんやママ友に助けてもらっても、それでもどうにもならない時間があるから、必要に迫られて設けた場所ですが、それはもう、沢山のご批判をいただきました。

「公私混同だ」
「神聖な議会にこどもを連れてくるべきではない」
「母親の犠牲になるこどもたちがかわいそう」

1500件ものクレームが寄せられる中、さすがに恐くなって仕舞うことも考えましたが、ここで私が退けば、次世代がまた同じ批判を受けるところから始めなければならないのではないか?ここまでの批判は全部私が食べてしまっておけば、次に続く人にはもっと違うスタートラインがあるのではないか?と思い直し、意地でも仕舞ってなるものかと(笑)

気付けば7年、今ではあらゆる政党の議員や秘書のお子さんやお孫さん、陳情のお父さんお母さんが集う場所になりました。

永田町に変化を起こすなんて簡単ではありません。でも永田町常識に従うのではなく、抗ってみることなら私にも出来ます。このキッズスペースも、時に謝ったり、開き直ったりしながら半径1メートル以内の人に慣れてもらい、その半径をじわじわ広げていく事でいつの間にか当たり前の風景になった。違和感に慣れてもらう厚かましさと情熱、これが私なりの変化の創り方です。

ー違和感と言えば、元々は民間企業に勤められていた伊藤議員ですが、国会議員になって違和感はありましたか?
たくさんありますよ。例えば民間では、大小問わずどんなプロジェクトでも、ゴールやターゲット、評価指標を決めて実行し、トレースして改善、再実行するサイクルを当たり前に回します。見立てが間違っていたら修正するし、失敗したら責任を取る。このビジネス界の当たり前が永田町にはありません。政治家の”不退転の覚悟”や”根回し順序への異常な拘り”のみならず、霞が関の”間違えてはいけない文化”や”権力への過度な忖度”はイノベーションと著しく相性が悪い。

とはいえ、1人で言っていても愚痴なので、それを2人で言って意見に、3人で言って兆しに、大勢で言ってうねりにしていきたいと思います。

(2)与党議員や当事者たちが巻き込まれてくれたから生まれた法律の数々

ー2023年5月、内閣が提出した「孤独・孤立対策推進法」が可決されましたが、その実現には伊藤議員の尽力がありました。どのような背景があったのでしょうか?
孤独対策は 元々、イギリスのジョー・コックス下院議員がライフワークとしていた政策です。同世代で、同年代の子どもを育てながら政治活動をしているコックス議員やその政策にシンパシーを感じていましたが、彼女はEU離脱の混乱の中で暗殺されてしまいました。2018年1月、イギリスに世界初の孤独担当大臣が誕生した際、彼女の夫が投稿したSNSが印象的です。

「ジョーがいれば、世界のためにどれだけのことができただろうと思うのは本当に辛いことだが、子供たちが今朝起きてきたら、ママはこの世にいなくても、それでも世界をより良い場所に変えているんだと話してあげる」

望まない孤独の弊害は、イギリス以上に日本社会が包含する課題です。私が政策に取り組み始めた2019年、日本では孤独と言えば”高齢者の孤独死”と矮小化されがちでした。そうではなくて、ありとあらゆる年代の、ありとあらゆる孤独、例えば孤育(孤独な育児)や就職氷河期世代、ヤングケアラー、望まない妊娠、児童虐待、DV、外国ルーツの子ども達…多様な要因から発生する多様な孤独への伴走は、アウトリーチ型ではないこれまでの行政支援では対応困難だからこそ放置、先送りされてきた現実があります。

2019年7月の参院選では党の重点政策に孤独対策を採用頂きました。2021年6月には議員立法もしました。しかし自民党の若手の一部を除いた政治家や世論の反応は芳しいものではなく、膠着状態がしばらく続きました。

政策が大きく動いたのは2022年1月の予算委員会NHKテレビ中継入りの質疑です。菅総理大臣(当時)への孤独対策に関する一問一答の様子が大きく報道され、それらを1つの契機として、我が国に世界で2例目の孤独担当大臣が誕生し、内閣官房に担当室も設置されました。

2023年5月に閣法として「孤独・孤立対策推進法」が提出、可決されるまでの間、NPOをはじめ当事者の皆さんが声をあげ続けたことで、今まで光が当たってこなかった社会課題が顕在化しました。

政策は、誰か1人が進めるものではありません。課題を発見し、変えたいと強く思う人がいて、党派を超えて巻き込まれてくれる人がいる。私では出られない会議、会えない人、届かないレベル、そこに仲間が力を貸してくれるのです。そしてそんな想いの総和が政治であり、この国をよりよくしていくエンジンなのだと、私は確信しています。

野党であっても政策を動かすことは出来ます。1年生議員であっても内側からアタックすることが肝要です。私は713人いる国会議員のたった1人でもいい、本気で動けば、動き続ければ、必ず地殻変動は起きると思っています。

ー与野党が連携して政策を作るというのは、あまり知られていないように思います。
一般的な政治のイメージは、与党が全部決めて、野党は批判をするだけという構図かもしれません。しかし、時には与野党の議員が手を携え、互いを信頼し、働いていることもまた、知って頂きたい永田町の真実です。

超党派の議員によって発議される議員立法は、新しい価値観に基づくもの、政府が積極的に取り組んで来なかったものが中心で、過去には臓器移植法やストーカー規制法、児童虐待防止法やDV防止法、自殺対策基本法やいじめ防止対策推進法等、この国の”新しい当たり前”が議員立法によって創られています。

野党の仕事は厳しい行政監視、権力監視のみならず、与党が見落としている視点、聞こえない声を国会に持ち込むことです。私は元記者なので「課題解決のためのジャーナリズム(ソリューションジャーナリズム)」の力を知っています。時にメディアと協力し、新たな社会課題を掘り起こし、声を集めたり、それらは実は自分ごとなんだと気付いてもらう為の働きかけを行なっています。

メディアは政治家を批判するのみならず、まずその課題認識を問い、解決の為に果たせる役割を問い、具体策や時間軸を問い、責任の在処を問う。課題を解決するというゴールに向かって、メディアと政治家は協働出来るはずです。

それと同じで、社会の不条理を解決する為、与野党も伴走関係に足り得ます。よい政治は与党だけでもつくれない、野党だけでもつくれない。あくまで協同作業なのです。

勿論、昨今の裏金問題などは言語道断。断罪と同時に、抜け穴ばかりの法制を改める必要があります。国民民主党の基本姿勢は「対決より解決」「解決のための対決」。現実的な政策とフラットな政治姿勢を貫く政党で働くことに、やりがいを感じています。

伊藤孝恵議員インタビュー

(3)これから取り組む「まだ、ここにない政策」たち

ーモットーが「まだ、ここにない政策を」ですが、今後はどの分野に注力されていきますか?
2024年春、ようやく「ヤングケアラー支援法(子ども・若者育成支援推進法改正案)」が成立する見通しです。このヤングケアラーの課題に約5年間取り組む中で気付いたのは、ヤングケアラーの放置がそっくりそのまま「ダブルケアラー( 育児と介護と仕事の狭間にいる労働者)」や介護離職の課題に直結している現実です。全員、誰かから生まれていますから、介護はあまねく我がごとで、もはやワークライフバランス等という世界線ではなく、ワークライフコンフリクト(衝突)な毎日を私たちは生きています。

また、中高年シングル女性の貧困問題にも取り組んでいます。我が国の相対的貧困率の男女差は69歳まではほぼありませんが、70歳以降、女性のみ跳ね上がっています。理由は年金であることは容易に想像はつきますが、政府は貧困状態にある女性の年金の種類や経緯等の調査も分析も行なっていません、当然、対策もしていません。

私たち就職氷河期世代は国の政策によって非正規雇用を選択せざるを得ず、固定化された性別役割分担意識の中で実質賃金は四半世紀下がり続け、リスキリングの機会もないまま45歳になれば専門実践教育訓練も年齢制限で足切りされます。現在、単身女性の半数以上が年収300万円未満です。氷河期世代が高齢期に入る20年後には、困窮する単身高齢女性は間違いなく倍増するでしょう。

他には「超党派 ネット社会におけるプライバシーの在り方を考える議員連盟」を立ち上げました。昨今はSNS等で、誰もが情報発信者となり、それが一瞬で世界中に拡散され、一度広がったら二度と消せないデジタルタトゥーが問題視されています。アウティングはしてはいけないという”常識”を取り戻し、デジタル人権を政策的に補強することは時代の要請です。

加えて「生殖補助医療の在り方を考える議員連盟」の事務局長もしています。日本には未だありませんが、今後、子ども達の”出自を知る権利”を担保する組織や法律を作りたいと思っています。

ー「まだ、ここにない政策」は、票などの政治的な力にならない政策なのではないかと推測するのですが、情熱を捧げて走り続ける原動力はどこからやってくるのでしょうか?
どうでしょう…分かりません。だから選挙が弱いんだとよく言われますが、思わず心が動き、足が動きます。これまで私が取り組んできた政策は、政治の世界では「それは個人の問題だから」「そんなもの取るに足らない」と捨て置かれてきたものばかりです。しかし、それは”国会議員にとって”取るに足らないだけで現実社会においては解決を待っている人たちが沢山いるんだぞ、独りよがりじゃないんだぞという想いがあるからで、それはやっぱり私に寄せられる沢山の声が、力こぶになっているのだと思います。

与えられた任期の中で、これからも自分の直感を信じ、「まだ、ここにない政策」を発掘していきます。その結末に、落選があったとしても、また別の場所で一生懸命働きます。

ーその姿勢が、伊藤議員の「リボルビングドア(回転ドア)」の活動にも通じているのでしょうか?
「リボルビングドア」は「回転ドア」を意味する単語です。政治家とその他の職業が相互に行き来することが当たり前になる社会=「回転ドア」のある社会を目指し、2023年12月に「一般社団法人 リボルビングドア」を立ち上げました。活動の目的は”元政治家の今”を可視化する事です。

2016年に議員になって驚いたのが国会議員の同質性の高さです。女性議員比率は衆議院10%、参議院26%。閣僚の半数は世襲議員。20代の衆議院議員はゼロ、30代は16名である一方、70〜80代は70人以上です。

私は女性議員が全員”ネクストミー”を創ることが大切だと思っているので、一緒に働いてみたいと思った方には、立候補しませんか?と誘ってみるのですが、決まって断られます。政治は魑魅魍魎、落選したら惨めで子どもは苛められる、SNSの誹謗中傷に日々晒され、政党の色がついてしまうのでロクな仕事につけず、不幸な老後が待っている等、さんざんなイメージです。

だから”人生のひととき”政治家をやることで得られたスキルやノウハウ、人生への好影響を元政治家たちに話してもらうことで、引退後のキャリアを見える化し、より多くの人に立候補をポジティブに捉えて貰うことが必要だと思いました。

政治家は社会をよりよくするための視点に気付ける無二の職業です。だからこそ”元政治家”が世の中に増えることは民主主義を強くするし、多様な背景を持つ人が議会を行き来する事で、国民のニーズを反映した政策も生み出される筈です。

(4)伊藤議員が次世代に伝えたいメッセージとは

ー最近、絵本も作られていると伺いました。どのようなメッセージを込めたのでしょうか?
「はんなちゃんそうり」というタイトルの絵本です。将来の夢を聞かれ、駄菓子屋さんになるか総理大臣になるか今迷っていると答えたら、クラスメイトたちに”女の子の総理大臣なんてヘンだよ”と笑われて落ち込む小学校1年生の主人公はんなちゃんのもとに78年前、日本で初めて誕生した女性国会議員が“おばけ”になって現れて…という内容です。

アンコンシャス・バイアス(性別による無意識の思い込み)は、生まれた時からそれが当たり前だったから課題自体に気付かないという面があります。1人でも多くの人が課題の存在を知り、感じ、動いて初めて、どんな課題も解決に向かいます。

メッセージはひとつ。性別も人種も、障害の有無も何も関係ない。あなたはあなた。大切なあなた。何にだってなれるあなた。総理大臣にだって。どうか我が子たちが生きる時代には、アンコンシャス・バイアスが過去の遺物になっていますように…という、祈りというか、念を込めました。

国会は、法律というこの国の”新しい当たり前”を創る場所。未来の生きやすさを創る場所です。皆さんの中にあるモヤモヤや疑問はきっと「まだ、ここにない」視点だから。ぜひ私にも教えてください。SNSのダイレクトメッセージ、フルオープンです。

伊藤孝恵議員インタビュー

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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