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政治ドットコムインタビュー政治家インタビュー防衛大臣補佐官・高見康裕議員に聞く!防衛産業のこれから

防衛大臣補佐官・高見康裕議員に聞く!防衛産業のこれから

投稿日2024.4.16
最終更新日2024.04.23

ロシアによるウクライナへの侵略が続くなど、世界の安全保障環境は複雑化しています。また中国や北朝鮮、ロシアが軍事活動を活発化させる中、日本はその最前線に位置しています。国民の暮らしと安全を守る上で防衛力を強化する必要があります。

そこで防衛省は今年、「防衛イノベーション技術研究所(仮称)」を新設します。「防衛イノベーション技術研究所(仮称)」では、外部人材を積極的に活用し、官民連携で革新技術の研究開発を進める方針です。

今回のインタビューでは、防衛大臣補佐官を務める高見康裕議員に、防衛生産・技術基盤の強化について、また地元・島根県の地方創生などについてお伺いしました。

(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 秋圭史)
(取材日:2024年3月18日)

高見 康裕(たかみ やすひろ)議員

高見康裕(たかみ やすひろ)議員
1980年生まれ。島根県出身。
新聞記者、海上自衛隊などを経て、島根県議(2期)。
2021年衆議院議員選挙で初当選(1期)。
趣味はジョギング、スポーツ観戦。

(1)新聞記者、海上自衛隊などを経て国会議員に

ー高見議員が政治家を志したきっかけは何だったのでしょうか。

友人を交通事故で亡くしたことがきっかけです。中学生のころ自転車で通学中の同級生が、信号のない交差点でダンプカーに衝突し、亡くなりました。

亡くなった友人のために何かできることはないか、生徒会長だった私は同級生と話し合いました。なぜ事故現場に信号がなかったのか、そもそも信号を作るのは誰が決めているのか。その中で市長や議員が決めているんじゃないか、と思ったんですね。

そこで再び事故が起きないよう、信号機の設置を求める署名を集め、市長や議員、教育委員長などに会いに行ったんです。この経験が私の政治との関わりのはじまりです。その時からなんとなく将来政治家になることを意識するようになりました。

ーすぐに政治家を目指すのではなく、新聞記者、海上自衛隊などを経験されています。

政治家になりたいと思う一方で、政治しか知らない人が政治家になるべきではないとも考えていました。

最初に選んだ仕事は新聞記者。当時は霞ヶ関の接待事件など官僚にまつわるスキャンダルが多く報じられていました。社会の常識やいろいろな見聞を持つ人が政治家になるべきだ、と考えた末での選択です。

新人の新聞記者はみんな地方からのスタートです。私は希望して青森県に赴任しました。もともと自衛隊に関心があった私にとって自衛隊が陸海空とそろい、米軍基地もある青森県は希望通りの赴任地でした。

かけ出しの新聞記者の役割は事件や事故の取材です。昼夜を問わず何かあればすぐに現場に向かう生活を送りました。

キャリアの転機は2007年に発生した八甲田山の雪崩事故でした。八甲田山でスキー客とガイド合わせて24名(2名死亡)が雪崩に巻き込まれた大惨事です。

事故の知らせを受け、すぐに現地に向かいました。しかし現地は視界ゼロの猛吹雪。消防や警察から「ここから先、メディアは進めません」と止められた。

そこに災害派遣された自衛隊がやってきて山頂に向かっていったんです。命の危険がある中で救助に向かう自衛隊員の姿にものすごく感動しました。

もちろん記者は世の中に情報を伝え、問いを投げかける大切な仕事です。ただ目の前で失われようとしている命を救うことはできない。忸怩たる思いをしました。

そこで自分が自衛隊に入り、直接人の命を救いたい。そんな思いが湧き上がり、早速、自衛隊について調べてみると入隊は27歳までとの年齢制限があることを知りました。そのとき私は26歳。年齢制限まであと1年しかありません。ギリギリだ、それなら今決断するしかない、とすぐに新聞記者を辞めて自衛隊に入隊しました。

高見 康裕 議員-2

ー自衛隊ではどのような経験をされたのでしょうか。

広島県江田島市にある海上自衛隊幹部候補生学校を卒業した後、5か月間の遠洋航海に出かけ、そのとき日本の素晴らしさを感じました。遠洋航海で寄港した世界中のどこの国でも日本人というだけで歓待されたんです。

特に印象的な国はトルコです。トルコでレストランに入ると店長やオーナーが必ずやってきて、「ロシアを倒してくれてありがとう」と言う。次に出てくるのは「エルトゥールル号を助けてくれてありがとう」と感謝の言葉です。

嬉しく思うとともに、複雑な思いもわき上がってきました。

日露戦争は教科書に載っていますが、ごくわずかしか教わりません。エルトゥールル号事件は載ってすらいません。

私たち日本人が誇るべきことを、外国人に教わるとはどういうことでしょうか。

さまざまな国を訪れ、現地の方とコミュニケーションをする中で、これまでの歴史で日本が果たしてきた役割を改めて知りました。と、同時に自分は日本の誇れることを習っていないし、子どもたちにも教えていないなと感じました。

自衛隊での経験を経て、これまでの歴史を受け継ぎながら、未来の世代にも世界に誇れる日本を残していきたいと思うようになりました。このことが政治家を目指す直接のきっかけとなり、地元・島根に戻ったんです。

ー2015年に島根県議会議員で当選され、2021年には衆議院議員選挙で当選されています。地方からみた今の政治の課題とはなんでしょうか。

人口減少が加速する中、地方の意見はなかなか反映されず悔しい思いをしてきました。特に県議会議員として直面したコロナ禍では、政府が地方向けに新しい補助金をさまざま用意してくれましたが、そのほとんどが東京目線で作られていて、使い勝手が悪かったんです。

国会議員を目指したのも地方の思いや課題をより国政に反映させたいと思ったからです。

多数決の原理が働く以上、人口が少ない地域は意見を届ける上で圧倒的に不利です。今、一票の格差を是正するために、参議院は島根県と鳥取県が合区となっています。島根と鳥取は、直線距離で350キロにもなりますが、ここに参議院議員が2人しかいません。

直線距離350キロは、東京ー名古屋間の距離に相当します。しかも、島根ー鳥取間には東京ー名古屋間のように新幹線はなく、高速道路も全線開通していません。鳥取の端から島根の端に移動しようと思ったら、一度羽田を経由した方が早いという地域です。そこに参議院議員が2人しかいないんですね。

島根はこれから全国の自治体が直面するであろう課題を多く抱える、いわば課題の先進地です。だからこそ、議員がやらなければならないことがたくさんあるし、国に意見を届けなければならない。

もちろん人口に応じて議員や予算を配分する、というのは一理あるんですが、結局は地方の議員が減らされ、都会の議員ばかりが増えていく。その結果何が起こるかというと、都市への利益誘導が加速してしまいます。

その一例として、森林環境税があげられます。森林環境税は、2024年度から国民一人当たり1,000円を徴収する国税で、その税収の全額が森林環境譲与税として都道府県、市町村に分配されることとなっています。

この集めたお金をどう市町村に配布するか、という議論の中で、森林面積や林業就業者数で按分するのはわかるのですが、なぜか最後に人口の多いところに多く配る条件がついてしまった。森林の保全のために課税するにも関わらず、森林の少ない大都市に多くお金が配られる。人口の多いところに大切なお金が流れやすくなってしまう象徴的な事例です。

私は都会対地方で地方をよくしたい、というよりは、東京一極集中が国全体にとって望ましくないと考えています。地方が自力で立てる強さがなければ、国全体が沈んでしまうからです。

高見 康裕 議員-3

(2)防衛産業の強化のため、防衛大臣補佐官に

ー今年1月に防衛大臣補佐官に就任されました。防衛大臣補佐官とはどのような役職なのでしょうか。

私の防衛大臣補佐官としての役割は防衛産業をより推進させること。この一点にあります。防衛生産・技術基盤の強化のため2023年に初めて国会議員が防衛大臣補佐官に就任しました。

防衛大臣補佐官が置かれた背景には、2022年12月の防衛三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略および防衛力整備計画)改定があります。

政府はロシアのウクライナ侵略などを契機に自国の安全保障環境を直視し、防衛力の強化を決めました。防衛力を強化するためには、防衛装備品の研究開発や生産が必要なんです。

防衛予算は増えましたが、防衛装備品の生産を担う企業がいないのでは意味がない。防衛大臣補佐官は大臣や副大臣、政務官と異なり国会での答弁の責務はありません。

制約がないので企業の視察や海外出張にフットワーク軽く出ていくことができます。さまざまな企業と会って話すことで、防衛産業を維持・強化する上での課題が見えてくるし、政府の本気度も一定程度は伝わりつつあると感じています。

一方で、足元では、ここ20年で100社以上が防衛産業から撤退したともいわれています。なぜか。それは防衛産業では防衛省・自衛隊しか顧客がいなかったからです。企業は生産ラインの維持にコストばかりかかってしまい、利益が上がらず、当然のごとく撤退が進んでしまったんです。

防衛産業が成り立つためには、大企業だけではなく、ニッチな部品を扱う中小企業や町工場の存在も重要です。規模感の違うプレイヤーそれぞれが、防衛生産に取り組める環境を作らなくてはいけません。日本は、これまでは防衛装備品の海外移転に厳しい制約がありましたが、今後は官民一丸となってセールスしていく方針です。

防衛装備品は実は外交上の戦略的な手段にもなります。政府が企業とともに防衛装備品の移転交渉に取り組むことで相手国への本気度を見せることができます。また交渉の中で、防衛以外の分野に話が及んだ時も政府が現場にいれば、担当の官庁にすぐにつなぐこともできます。

また外交関係の中で防衛装備品が持つプレゼンスは、他の産品と比べても非常に大きなものがあります。ロシアによるウクライナ侵略におけるインドの立場には、インドの防衛装備品の多くがロシアで作られていることも影響しているでしょう。そこで今インドは急いで、防衛装備品の輸入先の多角化を進めています。

民生品を輸出するのと、防衛装備品を移転するのでは、相手国に対する外交上のプレゼンスは全く違います。日本が国際社会の中で果たすべき役割を鑑みた時、防衛装備品は、今後は外交上の戦略的な手段として有効になっていくと思います。

ー武力による現状変更が21世紀に起こったことで国際社会には衝撃が走りました。日本の安全保障環境についてどのように感じていますか。

以前、ウクライナのコルスンスキー駐日大使とお話する機会があったのですが、その際、ウクライナと日本の安全保障環境は一つだ、とおっしゃっていたことが非常に印象的でした。

ウクライナは、ロシア1国に対してNATO(北大西洋条約機構)32か国で対抗している。一方で、日本は厳しい安全保障環境にもかかわらず、日米同盟があるだけで、多国間の同盟は存在しないことを指摘されたわけです。

中国が急速に軍事力を拡大している中、日本は長らくGDPの1%程度しか防衛費にあててきませんでした。防衛力の差が広がれば、相手に誤ったメッセージを与えかねず極めて危険です。ウクライナを短期間で制圧できるとよんでロシアは侵略したはずです。国際秩序を脅かす国々に対する抑止力として、日本の防衛力強化は必要不可欠です。

ー地上戦だけではなく、サイバー戦争、先進技術を用いた軍事行動にも関心が集まっています。

防衛力を強化するためには、AIや量子など、戦闘におけるゲームチェンジャーとなるような最新技術をいかに取り入れていくのかが決定的に重要になると思います。

そこで防衛省は、2024年度中に「防衛イノベーション技術研究所(仮称)」を新設します。この研究所では、これまでの延長線にある研究開発ではなく、最先端の機能、技術を創る「ブレークスルー研究(仮称)」を行う構想です。

「防衛イノベーション技術研究所(仮称)」を設立するにあたっては、アメリカの国防高等研究計画局(DARPA)と国防総省のDIUという2つの研究機関を参考にしています。

アメリカの国防高等研究計画局(DARPA)は、失敗を許容し自由な開発を進める自由な風土の研究機関、一方のDIUは技術を軍事的に実装するための研究機関です。

これらをお手本に「防衛イノベーション技術研究所(仮称)」でも前例に囚われない革新的な研究をするための組織づくりに注力しています。象徴的なのはプログラムマネージャーを民間から公募するなど民間人材の大胆な登用です。最新技術については国よりも民間やスタートアップによる研究が進み、理解も深い。民間の力を借りて、既存の防衛省組織の中だけでは起こせないイノベーションを起こしていきます。

高見 康裕 議員-4

(3)高見議員が成し遂げたいこと:地方創生と政治改革

ー高見議員が今関心を持っている政策テーマについて教えてください。

地方創生と政治改革です。

先ほどもいったように島根県は過疎化が進み、行政サービスやインフラの維持に課題を抱えています。その中で地方を活性化するには若い人が県外にどんどん出ていく構造を変えなければなりません。

実は島根県は全国で唯一私立大学がないんです。国立と県立の2つの大学があるのみ。それら二つの大学に進学しない若者の多くは県外流出です。出生率が低い都会に若者が吸い上げられ、国全体として人口がどんどん減る悪循環にはまってしまっています。

2024年度から島根大学に新しい学部(「材料エネルギー学部」)が創設されることになり、注目しています。最近では島根県の離島に一定期間暮らす「島留学」や、島根の山間部で自然の中で暮らす「しまね留学」など、島根に関わる若者を増やしていく面白い取り組みもできつつあります。

島根にIターン(※)した人の話を聞いたら、島根にきたら面白い人に会えるから移住した、とおっしゃっていたのが印象に残っています。人口が多く競争が激しい都市部で生きづらさを抱える人が、ひとたび島根に来たら個性を発揮して豊かに暮らしていることを知ると嬉しい気持ちになります。これからもさまざまな方法を活用しながら、若者が地元に残ったり、戻ってきたりできる環境を作りたいと思います。

ただ政策を進める上で、目下の政治資金をめぐる問題は深刻にとらえています。国民からの信頼がなければ政策を進めることはできません。

政治資金をめぐって国民の感覚とのズレがあったことを真摯に受け止める必要があります。その上で、当選回数や派閥で物事が決まる慣習を改め、若手から活躍できる風通しのよい政治を実現するため若手から声を上げなければなりません。

世界を見渡せば、同世代の議員が首相を務める国もあります。日本でも優秀な若手議員はたくさんいるのですが、政策の面で世の中に知られる機会がなかなかないです。自らの職責を果たし、政治への信頼を取り戻し、政策を通じて今の日本の課題を解決していこうと思っています。

(※)Iターンとは、生まれ育った故郷とは別の地域に移住すること。

この記事の監修者
政治ドットコム 編集部
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