ヘルスケアのイノベーションを促進するための新たな資金調達のあり方や、国民が安心して選べるヘルスケア製品の質の担保が重要な論点となっています。
2024年5月には自民党 新しい資本主義実行本部・経済構造改革委員会のもとに「ヘルスケア・トランスフォーメーションPT」が立ち上げられました。また6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」では、ヘルスケアサービスの創出やスタートアップの新興・支援が盛り込まれています。
今回のインタビューでは、議論を進めてきた経済産業省ヘルスケア産業課の橋本泰輔課長に、ヘルスケア産業の課題や国が目指すヘルスケアの姿を伺いました。
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(取材日:2024年8月22日)
(聞き手・文責:株式会社PoliPoli 井出光)
橋本泰輔(はしもと たいすけ)経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課長
2002年経済産業省入省。経済成長戦略、地球温暖化対策、産業人材政策、原子力政策、中小企業政策などに携わり、民間企業への出向を経て、2022年7月に現職。
日本のヘルスケア産業は世界に打って出るポテンシャルがある
―現在の日本のヘルスケア産業をとりまく環境をどう見ていますか。
ヘルスケア産業に大きく関わってくるのが、人口減少と高齢化です。
総人口は2020年から2050年にかけて約20%減っていく見込みです。そのなかでも生産年齢人口は30%以上減少すると見られています。
一方で、85歳以上の人口はどんどん増えていくことが予想されています。それに伴い、介護費や医療費などを含む社会保障費は劇的に増加します。これを減り続ける現役世代が負担する必要があります。
国も少子化対策に取り組んではいますが、今産まれる子どもの数が増えたとしても、その子たちが大人になって働き始めるのは約20年後。この構造自体はなかなか変えられるものではありません。
人口減少と高齢化は避けることができない未来ですが、その一方で健康であることの価値が非常に高くなっています。それに伴ってヘルスケア産業を成長させる意義も大きくなってきていると感じます。
―ヘルスケア政策の重要性も増してきているということですね。
ヘルスケア政策は国民の健康をつくっていく政策です。人は健康であれば、自分でできることが増え、幸せ感を感じやすくなるでしょう。家族が健康であれば自分も幸せ、という人も多い。健康であることそのものに大きな価値があると思います。
政府の立場からみても、健康な国民が増えることは多くの付随的な効果があります。現役世代が健康であれば仕事の生産性は高まります。高齢者が健康であれば働き続けることができる人が増えます。総じて健康な国民が増えることは、労働力人口の増加につながります。それと同時に社会保障費の削減も期待でき、財政面からも大きなプラスです。
日本のヘルスケア産業は国内のみならず、世界へ打って出ることができるポテンシャルを秘めています。人口減少・高齢化は先進国の共通の課題ですが、その中でも日本の高齢化率は世界トップクラス。ヘルスケア産業を起点に高齢化に対応する社会を日本が作ることができれば、世界各国は日本を先進的なモデルとして参考にしていくでしょうし、そこからビジネスチャンスも生まれてきます。
エビデンス構築がイノベーションの重要課題
ーヘルスケア政策における経産省の役割は何でしょうか。
一般的に、この分野は3つのフェーズにわけて考えられています。1つ目は予防・健康づくり、2つ目が医療(診断・治療)、3つ目が介護・生活支援の領域です。
経済産業省「ヘルスケア政策の動向と国際展開について」2024年6月より
経産省としては、病気になる前の段階である予防・健康づくりに厚生労働省と連携して取り組んでいます。特に、私の所属するヘルスケア産業課は、健康増進に産業を活用して対応していく役割があると考えています。
ーヘルスケア産業を活発化させるには、イノベーションの創出が一つのポイントだと思います。イノベーションを促進させるための取り組みを教えてください。
今まさに実行段階に入っているのが、ヘルスケアスタートアップ地域拠点育成事業です。この事業はヘルスケアのスタートアップの重点育成拠点を2、3地域選定した上で、スタートアップと自治体、医療機関などをつないでビジネスを創出する取り組みです。
ヘルスケア分野のスタートアップ企業はデータ収集やエビデンス構築などに課題を感じる企業が多い。特にヘルスケア分野では、その事業領域の特性上、エビデンスが重要です。健康への効果が認められる信頼できるエビデンスがなければ消費者には受け入れられないですかね。エビデンスを示すには、サービスを利用した際の効果を検証する必要があります。
そこで経産省が多くのステークホルダーをつなぐことで、エビデンス構築とデータ収集の困難さを解消するサポートを行っていきます。
―地域拠点育成事業によって、ヘルスケアスタートアップのエビデンス構築はクリアできるのでしょうか。
地域拠点育成事業は取り組みの中の一つであり、これですべてが解決するわけではありません。
ヘルスケアに関連する製品・サービスの種類次第ではエビデンスの取り方も変わってきます。民間主導のためのエビデンス収集のハードルが高いままで、本当に科学的に効果が立証された商品以外も世の中に流通してしまう現状にあると思います。
経済産業省「ヘルスケア政策の動向と国際展開について」2024年6月より
そこで経産省では、まずは事業者団体とともに、消費者が安全で信頼できる製品を手にとることができる環境を整備するための自主ガイドラインの策定を進めています。
事業者には、経産省が2019年に策定した「ヘルスケアサービスガイドライン等のあり方」に基づき、サービス提供時の必要な情報の提示、消費者からの相談体制、適切なモニタリングの実施、コンプライアンス遵守などに関する自主基準を策定し、運用をお願いしています。
経済産業省「ヘルスケア政策の動向と国際展開について」2024年6月より
また医学会との連携によるエビデンスを整理した指針の策定も実施しています。エビデンスに基づくサービスが世の中に適切に流通するようなマーケットの構築を推進していきたいと思っています。
そのような取組などを進めることにより、大きな3つのヘルスケアに関連する目標を実現していきます。
- 健康寿命を2040年に75歳以上に(2016年の72歳から3歳増)
- 公的保険外のヘルスケア・介護に係る国内市場を2050年に77兆円に(2020年の24兆円から53兆円増)
- 世界市場のうち日本企業の医療機器の獲得市場を2050年に21兆円に(2020年の3兆円から18兆円増)
ー3つの目標は2040年や2050年とかなり先を見据えたものですね。成果を測るより小さな目標や指標はありますか。
健康は目に見えにくいものです。現状ではヘルスケア政策全体が成功しているか否かを示す明確な指標はないのが現状です。さまざまな数値を確認しながら、随時それぞれの政策をブラッシュアップする必要があります。
その中でも具体的な指標の一つは健康経営があります。
健康経営とは、従業員の健康保持・増進の取り組みが将来的に収益性を高める投資であるとの考えのもと、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実行することです。経産省は、約180問の評価項目をもとに「健康経営優良法人」の認定を行っています。認定企業は着実に増えており、2023年度は大規模法人部門で2,988社、中小規模法人部門で16,733社に達しています。健康経営の推進は主要な施策の1つですので、今後もさらに認定数が伸びるようにしたいですね。
従業員の健康のために企業が投資をすることが健康経営の発想です。一方、健康経営を推進することは企業に新たな負担を負わせようとすることではありません。従業員が健康であれば、企業の生産性は向上します。また従業員の健康に配慮している企業であることは対外的な人材獲得競争で有利になる可能性も高まります。従業員の健康に投資することは、企業価値を高めることなのです。
健康経営の評価項目は様々です。経営がどの程度コミットメントしているのか。定期検診やストレスチェックの実施率はどの程度か。従業員の健康増進に貢献する具体的な取組が行われているのか、などなど。健康経営優良法人認定制度をさらに浸透させることによって、多くの企業に健康経営を意識してもらいたいです。
生きているだけで健康になれる社会を:PHRの推進
―ヘルスケア政策に関して、今後の展望を教えてください。
デジタル技術を活用したヘルスケア産業の発展を目指しています。そのためにはデータの活用が何より重要です。PHR(Personal Health Record)と呼ばれる、個人の健康等に関する情報を活用した新たなサービスを社会実装するために、補正予算なども使いながら事業を展開しています。
より具体的には、2025年の「大阪・関西万博」で、来場者にPHRを活用した新たな体験を提供できるよう準備しています。ウェアラブルデバイスやスマートフォンアプリ等を使って収集したデータを利用して、パーソナライズされた健康増進のメニューを体験いただくものです。睡眠や食事、運動などの普段の生活データを利用した健康を意識できる生活を体感してもらい「少し先の未来で待っている暮らし方」を示したいと思います。
現在でもウェアラブルデバイスでの睡眠記録や食事管理は少しずつ普及していますが、今後はより個人に最適化されたサービスが生まれてくるはずです。一般論として「野菜を食べた方がいいですよ」と言われても、一人一人に必要な量や種類はそれぞれです。体の大きさや運動量、体調、普段どんな食事をしているかなど細かいデータを活用した結果、何をどれくらい食べた方がよいのかをレコメンドしてくれる。そのようなサービスを利用して、普通に生きているだけで健康になれる社会がつくれないかと模索しています。
―ヘルスケア政策に注力される中で、どんなところでやりがいを感じますか。
ヘルスケア産業は日本が直面する最大の課題である人口減少と高齢化に向き合う産業です。重要課題に向き合う政策作りに非常にやりがいを感じます。健康に無関係な人は誰もいません。すべての国民の暮らしの改善に直接つながる政策であることに意義を感じながら、日々の仕事に向き合っています。