投稿日2020.12.7 自宅で摂った食事は「選挙経費」? 最高裁までもつれ込んだ大騒動 当選の恩人への感謝の気持ちが仇に 選挙期間中、運動員が自宅で食べる食事に対して選挙費用を支払っても良いものか。 当時、衆議院議員選挙法第97条では、選挙事務長や選挙委員が、選挙運動の際に必要とした飲食物や、遠方への出張の際の交通費・宿泊費などに関しては、選挙費用として認められると定められていまし...
投稿日2020.12.7 125歳まで生きることを夢見た大隈重信の健康法とは? 過去にとらわれず、自然に身を任せた晩年の大隈 本書「六十三大家生活法」が出版されたのは1919年(大正8年)。このとき、大隈重信は80歳を迎えています。 取材を受けたのも、2度目の登板となった総理大臣の役目を終えて無事、寺内正毅へと引き継ぎ、悠々自適の生活を送っていた頃と考えて良いでしょう。 ...
投稿日2020.12.7 明治の元勲・山縣有朋の健康法は毎朝の「槍」訓練 2.7メートルの槍を毎朝振り回す70代 第3代、第9代の総理大臣を務め、陸軍の重鎮として生涯強い影響力を持った山縣有朋は晩年、どのような生活を送っていたのか。 1919年に発行された「六十三大家生活法」(石上録之助著)で、側近に仕えた誰かと思われる人へのインタビューで、詳らかにされています。 ...
投稿日2020.12.7 女性の社会進出、ダブルインカム、シルバー人材活用を実践していた大正時代の政治家 頼母木が唱えた「共稼ぎ主義」 大正時代、現代に先駆けて「能力のある女性は社会でその才能を発揮させるべき」と説き、自らも夫婦共働きで、ともに大きな成果を残した政治家がいます。 頼母木桂吉は、明治時代後期に新聞社で辣腕をふるいます。報知社(現在の報知新聞)時代には、日本初の夕刊を企画して読者を激...
投稿日2020.12.7 「1年生議員はつらいよ」明治末期の新人議員の理想と現実 議場はまるで小学校の討論会場? 高原篤行は、1908年(明治41年)に行なわれた第10回衆議院議員総選挙に鹿児島県郡部7区から出馬、見事当選を果たします。 高原が「鹿児島県九代議士感想録」への取材に応じたのは1912年(明治45年)。国会議員として初めて国政に携わった4年間について振り返っていま...
投稿日2020.12.7 明治~大正の政治家たちの「トホホ」なエピソード3選 旅館の主人、憲政の貧乏神に怯える 「憲政の神様」といえば尾崎行雄ですが、「憲政の貧乏神様」とは誰を指すのか。大正時代の人々は、犬養毅をこう称していたようです。 大正5年に発行された「列伝シクジリ代議士」(参政閑人編)によれば、犬養がまともな布団で眠れるようになったのは50歳を過ぎてから。江戸...
投稿日2020.12.7 明治から昭和まで活躍した議員が語る「こんな候補者は信用するな」 「人たらし」と取るか「品がない」と取るか かつて、田中角栄は「人心掌握の天才」「人たらし」と絶大な人気を集めました。現代でも、残した言葉、エピソードなどは広く伝えられています。 田中はその人心掌握術と合わせて、政治の面でも豪腕をふるい多くの公約を実現させていきました。 明治23年(1890...
投稿日2020.12.7 自民党結党以降の「非世襲の総理大臣」を徹底調査(後編) 「クリーンな政治」を掲げ自らも実践 三木武夫(首相在任期間:1974年12月9日〜1976年12月24日) 田中角栄に代表される、金と人脈で派閥を維持し、入念な気配りや根回しで自らの政策を進める議員を政治家の典型とするなら、三木武夫はその真逆の精神を貫いた政治家でした。 彼は戦前から戦後まで、...
投稿日2020.12.7 現在より圧倒的に高かった明治時代の「離婚率」 今も昔も変わらない「女性が結婚相手に望むこと」 かつて、日本人は早婚だった。そんな印象がありますが、実際はどうだったのでしょうか。 12歳や13歳での結婚、ということも珍しくはなかったようですが、それは明治時代初期までのこと。1898年(明治31年)に施行された民法で15歳未満の女子の結婚を禁じ...
投稿日2020.12.7 外国人が日本人の脂を搾り取る?〜誤解から発生した大規模一揆 戸籍法と徴兵令への「誤解」 日本で初めて戸籍法が発布されたのは1871年(明治4年)。その目的は、戸数や人口を正確に把握し、徴兵や税金を適切に行うことが目的のひとつでした。 続いて、1873年(明治6年)には徴兵令も施行されます。 ここで全国的な徴兵制度を断行することができるようになりましたが...