投稿日2020.12.9 日本の買い占め狂想曲 その1〜オイルショック編 一枚の広告が全国的な騒動に発展 1973年(昭和48年)10月16日、中東の原油産油国が「原油価格を70%引き上げる」と決定したことを受けて、10月19日に中曽根康弘通商産業大臣(当時)は「紙の節約お願いする」と国民に呼びかけました。 この報道を受けて国民は大パニックに。10月下旬に「紙が無くな...
投稿日2020.12.9 苗字騒動記 珍姓を付けられた平民の悲劇 軽い気持ちで付けられた苗字も 1870年(明治3年)9月19日、平民苗字公証許可令(太政官布告608号)が交付されました。 この公布を発案したのは民部省の司法大輔・細川潤次郎でした。 細川は「天賦固有の権利を同等に持ち居ながら、人為の階級に拠りて、平民ばかりには名前のみを呼ばせて、苗字をいはせ...
投稿日2020.12.9 ヤクザの大親分が国会議員に 任侠議員・吉田磯吉伝 船頭から北九州を治めるヤクザの親分に まず、吉田磯吉が議員として活躍していた当時、いわゆる「ヤクザ」「暴力団」を見る目は現在とかなり異なっていたことを念頭に置く必要があります。 戦前の日本は急激な経済発展とともに、大規模な人口移動が起きていました。 職を求めた人々は、地方から都市部や炭鉱地など...
投稿日2020.12.9 政治家の「名言」〜伊藤博文 「苟(いやしく)も天下に一事一物を成し遂げようとすれば、命懸けのことは始終ある。依頼心を起こしてはならぬ。自力でやれ」 ー初代内閣総理大臣伊藤博文が、次男眞一に与えた訓戒の一部 華美になびかず、野心のためには行わず 冒頭の言葉は、留学を控えた次男・眞一氏に与えた訓戒の一節です。 この言葉の前...
投稿日2020.12.9 終戦までの一週間を新聞報道で振り返る 後編(昭和20年8月14日〜15日) 8月14日:終戦前日も、引き続き戦意高揚 8月14日付の「朝日新聞」では、当然ながらまさか次の日に終戦するとは露ほどにも感じさせない記事が並んでいます。 一面の大見出しには「大型水上機母艦撃沈 潜水部隊 沖縄南東海面で」とつけられ、8月13日17時に公表された大本営発表にのっとった戦果を...
投稿日2020.12.9 タレント議員第1号は一体だれ?ー石田一松伝 タレント議員第1号は吉本興業所属の芸人 これまで多くの「タレント議員」が誕生しています。俳優、歌手、お笑い芸人、作家、アナウンサー、スポーツ選手など、そのバックグラウンドはさまざまですが、その高い知名度を背景に選挙を勝ち抜き、国政の分野で活躍を続けています。 日本においてそのタレント議員の先...
投稿日2020.12.9 千葉県の森田健作知事が3期で引退表明「歴代最長知事在任日数トップ10は誰?」 30年にわたって知事を務めた中西陽一氏 まずは歴代の「最長在任知事ランキングトップ10」を見てみましょう。 1位は1963年から1994年まで、なんと30年9ヵ月にわたって石川県知事を務めた中西陽一氏です。 中西氏は1917年(大正6年)生まれ。1942年に京都帝国大学法学部を卒業すると内...
投稿日2020.12.9 日本憲政初の国会議員同士の「結婚」 日本初の女性国会議員・松谷天光光 松谷天光光氏は、日本で初めて女性に被選挙権が認められて行われた、1946年の第22回衆議院議員総選挙に、自ら中心となって結成した「餓死防衛同盟」の委員長として出馬して初当選を果たした、日本初の女性国会議員のひとりです。 政治に興味を持ったのは戦後から。 戦争で...
投稿日2020.12.9 自民党を創った男・三木武吉氏の「ヤジ対応能力」 自民党を創った男の「殺し文句」 三木武吉氏は「自由民主党を創った男」として知られています。 1945年の終戦から約10年の間、保守・革新ともに小さな政党に分かれて離合集散を繰り返していました。 占領下、GHQの指令によって無産政党(日本社会党や日本共産党など)が合法化される一方で、保守政党が乱...
投稿日2020.12.9 明治の人が見た「天下の義人・田中正造」 「嫁さんには早く死んでほしい」と語った田中の真意 古河財閥が経営する足尾銅山での掘削作業が原因で鉱毒公害が発生。近辺の山の木が枯れ禿山となる、木を失った山々が土砂災害を起こす、川へと流れ込んだ鉱毒によって魚が大量死する、洪水によって拡散した鉱毒が田畑に流入し作物を全滅させるなど、長年にわたって...